今さら?

リリーの「東京タワー」。

へそ曲がりなので、世間で騒がれると逆に、
「リリーは好きだけど、これは読まなくてもいーや」
と、読まずにいたんですが・・・
なぜか縁あって(?)、私のとこにもまわってきました。

いやらしく、斜に構えて読み始めたものの、読み進めていくうちにすっかり自分もオカンのとりこに。

最近、ばななさんの「イルカ」を読んで、おんなのひとの育てたり・世話をするという、きっと本能自体にすでにすりこまれている性質や、「お母さん」という、どっしりと根のはった絶対的に安心な存在について、イロイロ感じてたところだったから余計に。

特に、「東京タワー」できゅんとなるのはごはんの場面やエピソード。
私も、オカンのぬかづけ食べたいっ
ちゃんと手のかかった、こころのこもったごはんを食べてたら、間違ったふうにはならない!!絶対に。
改めて思いました。
今のリリーは、おかんのごはんあってこそ。
目立たなくても、ちいさなことでも、毎日のことってホントに大切。


最近、仲のいい女子の間ではオトコをみるときの重要(?)チェックポイントとして
「少年ジャンプ(80・90年代の)を読んでたかどうかまず聞くべし!」
っていうのがあるんですが(ジャンプには男の友情や成長や、男子の重要項目がつまってるから)、それに追加で、
「お母さんをちゃんと大事にしてるかどうか」
っていうのも入れとこう・・・と思いました。

変な、ベタベタした意味のマザコンではなく。

でもやっぱり、男の子にとってのおかーさんって、特別なものなんだろうな。
女の子からすると、同性で「女どうし」ってなっちゃうけど、男の子にとっては異性だもんねえ。

そして、ほんとにお母さんの人も、まだお母さんでない人も、女と生まれたからには「お母さんの素質」とも言える、世話したり・育てたり・手をかけたりする能力(?)性質を持ってるんですよね。

そーゆーのって、大事にしてゆきたいなあ、と思います。

同時進行で読んでる、高山なおみさんの日記エッセイ「日々ごはん」。
「東京タワー」が男の人からの目線で書かれたものだとすると、こっちはおんなのひとからの目線で書かれたものといった感じでしょうか。

女らしさの究極って、メイクがんばったりとんがった靴はいたりじゃなくって(それも大事だけど)、こういうことなんだな、きっと。